<<次の記事 前の記事>>

作文と小論文の違い・・・難しい



おはようございます。

作文と小論文の違いをと思って書き始めましたが あれれ 作文の紹介だけで終わっていましたね。高校生になるとぐっとレベルが上がります。あがったまま 大学入試 授業でのレポート 就活 そして働く場でのプレゼンへと一生といっていいほど続きます。パソコンを使って表現するようになっても 所詮それは手段であって 本質は何を語るのかです。主張がしっかりしてないと 何も相手に伝わりません。この文章は 学校はなにかという筆者の問いかけについて 校則を題材に語ったのものです。少し大変ですがお付き合いを。

私は、校則を対立する二つの立場から考察した上で、自分の考える理想像について提言したいと思う。

中学の時、学校内の生活安全委員長となり生徒の校則認知度の向上を諮るため、校則の内容についての穴埋め式テストを行った事がある。その際、先生方の校則認知度も同時に

集計したのだが、その結果、さすがに生徒より認知度は高かったものの、詳しい基準を完璧に答えることができた先生は少なかった。この事から、私は著者の「学校で行われる『教育』の特徴」について頷くことができる。教師にとって焦点は、最早校則の内容ではない。「決められたことを守る」という、社会で必要とされる素直さを育むことができるか、それが最大の焦点なのだろう。統制する側から捉えた規則を例えるならば、それは様々な形のクッキー型である。型からはみだす者を切り取り、練ってから、また型をはめる。型の形など問題ではない。少し機械的で理性的な捉え方である。

 ここまで、守らせる側から捉えた校則について話してきたが、私もひとりの生徒、つまり規則を守る側として十年間の学校生活を送ってきた。その中で、髪を染めたり、アルバイトをしたりしたい、校則は必要ではないのではないかと考えた事も少なくない。守る側の立場として私と同じように校則を余計なモノとして捉えている人も多いだろう。先程のクッキー型の例え話を用いるならば、決められた型で象られたくはないし、好きな形のままでいたいという、実に主観的で感情的な捉え方である。

 こうして、統制する側、される側の二つの立場から捉えた規則について考えると、規則は、我々人間誰もが持つ二面性―理性と感情―のせめぎ合いの中に在ると言える。この事から私は、人間らしい感情的欲求に蓋をすることなく、同時に理性的な「心のもちよう」を保つことのできうる人間を理想像と考える。


長い文章にお付き合い ありがとうございます。今日も素敵な出会いと感動を。

| 生涯学習(自立塾)::高校 | 06:23 AM | comments (0) | trackback (0) |

コメント

コメントする








この記事のトラックバックURL

http://www.gokuu-world.com/tb.php/2989

トラックバック

PAGE TOP ↑

CALENDAR


Information1


Information2


Information3

PROFILE
〒682-0811
鳥取県倉吉市上灘町161
悟空ワールド
090-1335-9919
お問い合わせはこちら
gokuu(3608)
浦川澪奈(2)

Twitter



LOGIN

現在のモード: ゲストモード

USER ID:
PASSWORD:

NEW ENTRIES

RECENT COMMENTS


保留中コメント:18件

RECENT TRACKBACK


保留中トラックバック:0件

CATEGORIES

ARCHIVES

LINK

OTHER

  • admin
  • RSS 1.0
  • 処理時間 2.638891秒
  • HPアクセス情報
    合計: 1870108
    今日: 266
    昨日: 2759